ご由緒History
御祭神
| 主祭神 | 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) |
|---|---|
| 相殿神 | 日本武命(やまとたけるのみこと) 天之火明命(あめのほあかりのみこと) |
| 鎮座地 | 名古屋市守山区大森二丁目一七二一番地 |
御由緒
八劔神社は第五十代桓武天皇の時代、延暦十二年(七九三)に、この地方を支配していた豪族 山田の連によって 「大森北八劔」の地に創建されたと伝えられています。その後、宝暦十年(一七六〇)第百十六代桃園天皇の時代に、 大森地区を流れる矢田川と天神川の合流地である元郷に近い「大森中ノ町田」の地に遷座されました。 この時に本殿も新築されたといわれていますが、当時度重なる地震や風水害による神社地の孤立や盗難などの被害もあって、 昭和二年(一九二七)に現在地へ、本殿はそのままの姿で移築して再び遷座されました。
「八劔神社」の名称は熱田神宮の別宮「八剣宮」に由来すると思われますが、 当社がいつごろからこのように呼ばれるようになったかは明らかではありません。
八劔神社には建速須佐之男命・日本武命・天之火明命の三柱が祀られています。 このうち前二柱は「八剣宮」の祭神と同じですが、天之火明命は尾張氏の祖と伝えられる神で、 当社の境内神社 尾関社の祭神でもあります。 このことから、古代に当社は尾張氏の一族である山田の連が祀った先祖の霊を、 中世になって大森城主 尾関氏が受け継いできたと想像されます。 いずれにしても、この神社は古代より大森に住んでいた人々の厚い信仰心によって、 一二〇〇年もの長い歴史をもつ由緒ある神社となっています。
明治四年に村社に列し、昭和二十一年十二月(一九四六)愛知県神社庁等級規定により十三等級に列せられ、 昭和二十八年十二月(一九五三)宗教法人登記。昭和二十九年七月(一九五四)「宗教法人八劔神社」と改称し十一等級に格付け、 その後、昭和五十五年四月(一九八〇)八等級に列せられ現在に至っています。